老子がいう無為の政治と過酷な政治
東の空に浮かんだ雲、面白そうだったのでアップしてみた。今日の主張とは写真は直接関係ない。ただ、空の豊かさは心を癒してくれる。
コメントを下さる方から、自己主張でも珠にはしてみたらとのことであったので、今日は私の主張というか、老子の教えに基づくものを少ししてみたいと思う。
守屋洋著の「新釈老子講義」という本に、「無為の政治と過酷な政治」ということが書いてあった。無為の政治を行えば、人民は何の気がねもなくのんびりと暮らすことが出来る。過酷な政治を行えば、人民は裏をかいてずるかしこく立ちまわる。禍には福が寄り添い、福には禍が潜んでいる。だが、誰もそれを見極めることが出来ない。
今までの政治は、弱いものに重税を強いるような政治であったように思う。自立支援法、後期高齢者医療制度、等々と無為の政治とは程遠いものを感じる。孔子がいう為政者の道は、人民が何の気がねもなく暮らせる、老子のいっていることとあまり違わない。論語には為政者の道が説かれている。為政者は臣や人民の幸せのために政を行い、臣は忠誠を誓い、人民は年貢を納めるのである。
今の世もまったく変わらないように思う。国民には重税を課し、税金はそれぞれの事業に使われる。その税金を政治家が力に任せて使ってしまう。国民の血税にもかかわらずである。挙句の果ては、この道路予算は自分が持ってきた。この事業予算は自分が・・・と、自慢げに言っている。「国民のお金を勝手に使うな!」と言いたいほどである。無計画な事業予算は、補正予算では、結局国債発行を余儀なくされる。孔子がいう、仁・義・礼・知・信、この五徳を守るなら、すばらしい政治が出来るであろう。また、老子がいう三宝を守れるなら、本当の無為の政治が出来るように思う。老子の三宝は、一に曰く「慈」、二に曰く「倹」、三に曰く「敢えて天下の先足らず」である。第一に人を愛しむこと、第二に物事を控えめにすること、第三に人々の先頭に立たないこと、である。つまり、人を愛しむからこそ、勇気が湧いてくる。物事を控えめにするからこそ、行きづまらない。人々の先頭に立たないからこそ、逆に指導者として担がれる。
愛しむことを忘れて勇気だけを誇示し、控えめな態度を捨ててわれ先に駆け出し、退くことを忘れて先頭に立つことだけを考えたら、どうなるか、それは破滅あるのみだろう。今までの政治体質がかようであったように思う。
政権政党が、民主党だとか自民党だとかそんなことはどうでも良い。国民の幸せを考え、弱い立場の者にも血が通う政治をして欲しい。今回民主党が政権を奪取した。マニフェストに基づき、前向きに前進して欲しいと思う。今までの政権政党であった自民党には、国民の支持を得られなかった原因が何かをもっと考えて欲しい。総理がどうだとか、政権交代というキャッチがどうだとか、閣僚の発言がどうだったとか、そんな低次元の発言はやめて、政策をもっと考えて欲しいものである。
結論は、良い日本が再生されることを願っている。
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