Archive for 12月, 2009

平成21年の大晦日

日本の経済の冷え込みの象徴が大晦日にやって来た。朝から小雪が舞い散る寒い日である。忙しさの中で出来なかった墓掃除に、やっと大晦日になってやって来た。石塔を吹き、花を替え、周りの草を取る。いつものことであるがみの引き締まる思いがする。吹きさらしの墓、雪交じりの風は容赦なく吹いてくる。

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私の家の墓所から撮った空、東の空は少し青空があり、白い雲がふんわりと急ぎ足で流れていた。右は北の空、雲の多いどんよりとした空である。私の家は浄土宗、線香を上げ十念を唱える。十念とは南無阿弥陀仏を十回唱えて祈るのである。

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帰りには今年最後のお参りに氏神様を詣でた。一年間のお礼を申し上げた。また古札のお炊き上げもお願いした。氏神様の富松神社には、大きなしめ縄が飾られ、新年を待つばかりとなっていた。しかし、強風のためか、いつもはきれいな境内が、杉の木の枯れ枝が沢山落ちていた。お参りをして神社の駐車場に行くと、丁度太陽が雲から顔を出したところであった。南の空の雲は太陽の光を受けて白く輝いていた。

明日も天候は荒れ気味と聞く。新年早々荒れた天気になりそうだ。しかし、いい年になって欲しいものである。私の家も、特に子供たちにとって良い年になって欲しいと願っている。大きく羽ばたいて欲しいものである。

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素晴らしい精神力

38歳でスピードスケート現役、しかも5度目のオリンピック出場が決定した。5度目といえば、20年の時の経過がある。それまで身体のコンディションを保ち、過酷な練習をしてきたのだろう。口で言うのは簡単であるが、並大抵のことではない。

okazaki Yahooより

その人の名は岡崎朋美選手である。「根性」という言葉が凝縮されているような感じがする。最近は、一つのことに没頭することがないように思う。彼女の場合はスケートが全てだったのだろう。長い間一流選手として居れる背景には、当然の如く、努力と苦労とは背中合わせになっていたに違いない。評論家は、適当に評論する。年をとって、タイムがあがらなければ、「もう年齢的な限界だろう。」などと、自分の身体でもないのに適当なことをいう。勿論、体力は年齢には付いていかない。しかし、努力や身体へのケアーによって、人間の能力は限りがないほどに発揮できるものなのかも知れない。「もういいや!」と思った時に大きく体力は落ち込むのだろう。強い精神力があれば、限界を超え、一流のアスリートとして君臨することが出来るということだろう。

岡崎朋美選手、貴女の精神力を大いに本番で発揮し、貴女の素晴らしい魂を輝かせて欲しいと祈る。


訪問した事務所に咲く花

今年もあと数日で終わり新年を迎える。そして、丑年の本年より寅年を迎えるわけである。飛ぶ鳥を落とすほどに成長していた経済大国日本はその指導力を失い、迷走し兼ねないような状況が見え隠れする。大国の顔を窺い、自国の姿勢を見せない優柔不断の態度が見えるのだ。何となく自分自身を見るような気がする。

戦後、わが国は大和魂というか、気骨が抜けてしまったように思う。明治維新の志士たち、信念と夢とを持って新しい日本を作ってきた。敗戦と同時に、生きる気概を忘れたかのように、大欲を忘れて私欲に走り出した観がある。それが単なる経済成長として一時期に繁栄しただけであり、衰退は目に見えていたのだろう。戦後生まれの私がこんなことを言うのもおかしなものであるが、私もその同類である事には間違いない。

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昨日、民主党の事務所を訪れた。きれいな写真のような花が咲いていた。殺伐とした事務所に一点の光を放ち、訪問する人に癒しを与えているかのようであった。

冒頭に書いたことだが、私たちはもっと社会のこと、政治のこと、自分の周りのこと、家族のこと、仲間のこと、等々、もっと考えなければならないように思う。

明治維新の志士たちは、江戸幕府が奨励した朱子学、所謂、儒学を学び為政者としての道を学んできた。そのことが大きく人々の心を変え、大政奉還に繋がったのだと思われる。自分のことより多くの民の幸せを考え、各藩を統一した新しい日本が出来上がったわけである。

今読んでいる法華経の本には、「利他」という言葉が出てくる。つまり他人のためにいかに功徳を積むことが出来るかという釈迦の教えである。

新しい日本のあるべき姿は、武士道精神であり、儒学にある親を大切にする心であり、人のために何をしてあげるかという温かい心である。そのことが政治に大切なことであり、国民の幸せを求めることが、外交についてもはっきりと物が言えることになるのだと思う。

訪問した事務所に咲く花が、私に教えてくれたことである。


散歩の中で目にしたもの

車で走っている時には見えないものが、犬の散歩でゆっくりと歩いていると色んなものが見えてくる。「こんな所に危険な場所がある。こんな所にこんなものが・・・」という具合である。犬は犬で何かを感じ、臭いを嗅いだり、あちらこちらを見渡す。

私の家の周りには、色んな花が咲いているのを発見した。それぞれの家庭の庭には花が咲いているのである。寒い冬空の中に、ほっとする瞬間でもある。

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ランの一種なのか、傘をたたんだような花が咲いていた。

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何という花かは分からないが、ピンクのつぼみと開花した紫の花、きれいな花がフェンスに絡まって咲いていた。

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この花は椿の一種だろうが、純白の花を咲かせ、その白さが透き通るようであり、心の中まで染み渡るようでもあった。

現在のスピード化した社会で、私たちは発見しなければならないことを見過ごしているように思う。ゆっくり進むと、散歩中に花や新しい何かを発見するように、色んなものが見えてくるのではないかと思う。世の中を少しタイムスリップして、改めてゆっくり進んで来ると、もっと良い社会になるのではないだろうか・・・。

しかし、時間の巻き戻しなんか出来るわけがない。では、どうしたらいいんだろう? やはり、一人一人が考えて実行するしかない。勿論、政治が大切であることはいうまでもない。道徳心、倫理観、心の大切さを重んじなければならない筈であるが・・・。


ここは乾馬場、天満宮がある。

大村市乾馬場町、今朝犬の散歩で天満宮前を通った。いつもは車なので通り過ごしてしまう。鳥居をくぐり、久しぶりに神殿へと足を進めた。鳥居の前には記念碑が立っている。

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記念碑には長久寺跡と書いてある。側には川が流れている。大上戸川である。嘗てこの川の沿線には八つのお寺があったと聞く。どのお寺も藩主大村純忠公がキリスト教の洗礼を受けた時に、焼き討ちにあったようである。

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そして、現在そこには天満宮があり、小さな祠がある。中に入ってみると、よく掃除され全体的にきれいにしてあった。久しぶりに天満宮でのお参りである。私の家は近くにあり、小さい頃この場所で遊んだこともあるが、昔はうっそうとしていたように思う。しかし、今は管理が行き届いている。神主さんがおられるわけでもない小さな天満宮、どなたかが管理されているのだろう。きれいな天満宮は気持ちが良いし、常にきれいにされていることに感心した。

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また、この場所にこんなものが立っている。この点は、計画中の長崎新幹線の路線の中心点となる場所である。神社の境内の中に立っている。当然この天満宮も移転しなければならないことになる。果たしてどこに鎮座されるのやら? 神様も人間のご都合で移転とは皮肉なことである。


雲の向こうには何がある

今朝は冷え込み、雲は空を覆っていた。仕事に行く前に氏神様にお参りに行った。帰り道、神社の鳥居の向こうには、厚い雲が覆いかぶさっていた。

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写真のように厚い雲が覆いかぶさっていた。そして、厚い雲の切れ目に青空がほんの少し顔を出していた。気温は低く、やはり冬であり、大晦日に近いことを示している。雲の上には何がある? そんな感じさえする厚い雲、しかし青空は確かにあることが雲の隙間から窺える。

世の中には、悲しいことや苦しいことが沢山ある。一つのことが解決しても、また次の苦しみや悲しみがやって来る。それが人生、それが生きていることの証明なのだろう。でも、厚い雲の上には青空がある。太陽は燦々と輝いている。暖かい、輝く光は常にかざされている。だから冬の寒さでもしのげるのである。明日への希望は、雲の隙間の青空のように、小さいところから大きく広がってくる。空は無限に広がっている。希望は無限に与えられるのだと思う。心に感じるものを大事にしながら、希望や夢を掴んでいきたいものである。


間もなく年が変わる

「もういくつ寝るとお正月・・・お正月には凧揚げて こまをまわして遊びましょ・・・」と小さい頃には唄ったものである。クリスマスのプレゼント、そして正月のお年玉と楽しい子供の頃の私もあった。そんなことをこの時期になる思い出す。そして、今度は子供たちと一緒に楽しく過ごしたことを思い出す。時は流れ、そんな時期は何時だったのだろうかと思う時がある。子供たちは大きくなり、自分の道を探して進みつつある。昔に返れたらと思うが、時は進んで行く。

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今年は丑年であった。きれいな目をした牛、のっしのっしとゆっくりと歩く牛の姿は、もうお尻の方が見えるだけとなった。この1年、世の中は変わってきた。政治も政権交代と自民党の長期政権から民主党政権となった。しかし、世の中は不景気風が吹き続いているし、人心の荒廃もある。非道な殺人事件、雇用においては派遣切り、等々、おかしな世の中になってしまっている。新しい民主党政治が、本当に国民一人一人の幸せのために行われればと祈るものである。

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平成22年は寅年、間もなく新年がやって来る。いい年が来て欲しいものである。家族が、仲間が、沢山の人たちが、本当に心から笑える年がやって来て欲しいものである。

仏教には生きることは「苦」であるという。確かにその通りなのかも知れないが、「苦」を容認した時に「苦」は消え去るようである。こだわりの心を捨てて、自分の生きる目標をたてて、子供たちの小さな幸せを祈っていければ、それが本当の幸せなのではないかと思う。大きな期待を持つから幸せを感じないのかもしれない。頑張るか、頑張らないかは子供たちの問題であり、親はそれを見ているしかない。勿論、応援団にはなれるだろうが、実行するのはあくまでもそれぞれの子供たちである。ただ、子供たちは必ず頑張るだろうと信じ、親を大きく超えていくだろうと信じてやることが大切なようである。

牛から寅へ、年は間もなく変わっていく。きっといい年がやって来るだろう。私は、自分の力でいい年になるように頑張っていこうと思う。いい年をこの手で掴もうと思う。子供たちに負けないように・・・。 まだ、頑張れると思うから・・・。 でも、根をあげるかも? そしたら子供たちが手を差し伸べてくれるだろう。優しい子供たちだから・・・。


大村市武部町で・・・

仕事で立ち寄った武部町、JR大村駅の裏手になる。そこで見つけた美しいもの、自然の美しさがここにもあった。

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八重の花を咲かせる椿、ピンクの花があでやかである。

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まだつぼみもあり、これから花が開くのだろう。寒い北風の中に咲く椿の花、寒風をものともしない強さがある。葉は青々と濃く、花を引き立たせている。

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近くにはキンカンが鈴なりで、黄色い実が生き生きとしていた。注意深く見てみると、色んなものがある。ふと見過ごすようなことがあるが、いろんなものがそれぞれに時や季節を感じながら育っているのである。

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その近くには南天の赤い実があった。いくつかの房のようにして南天が実を着けているのである。

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また、その近くには山茶花の花が写真のように、キンカンではないが鈴なりの花である。赤い花は、私が一番と言いたげに、天に向かって割れんばかりの勢いで花を咲かせているようであった。

ほんの僅かの距離にこれだけの花や実がある。そして、元気に花を咲かせ、実を着けている。ちょっとしたことで塞ぎ込んだり、悩んだりする人間は、植物の世界からすると弱いものであるような気がする。


事務所に咲く花

冬はやはり冬、冬至を過ぎいよいよ新年を間近に迎える。今日の空は雲が多い、朝から小雨が降っていた。11時近くになると日が顔を出してきた。冬の雨は冷たい、風は身を刺すようである。年齢と共に寒さが身に沁みる。

そんな中に、私の事務所には花が咲いている。心弾むように、私の周りを明るくさせている。

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赤く情熱的に咲く花、冬の寒さや心の曇りを払ってくれるような燃えるような赤い色である。友達が持って来てくれた花。最近元気がなかった私のことを思い、元気をつけるために持ってきてくれたかのようなタイミングである。いずれにしても有り難いことである。この花だけでも狭い事務所は明るくなる。

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この花はデンマークカクタスというそうである。薄いピンクの花がとてもきれいに咲いている。葉の形からランの花の一種だろうと思うが、とてもきれいな花である。今、私の事務所を飾っている。この花は、大村市内にガス会社が毎年開催されているガス展で頂いて来たものである。こうして毎年花を咲かせ、私の心を癒してくれる。また、事務所へ来られるお客様にも微笑んで迎えてくれているような気がする。

植物は自分の花を咲かせる時期をちゃんと覚えていている。自然の営みとは凄いものであることを気づかされる。月や星を見、季節の花を見るたびに、自然の規則正しさを感じる。太陽系の営みが規則正しいから、人は生きていることが出来るのだろう。それが崩れると大変なことになるだろうと思う。

地球上での自然破壊も進んでいるが、これも放って置けば地球は廃墟と化してしまうだろう。しかし、私たちは小さなことしか出来ない。私たちは、自然を大切にしていくこと、四季を感じそのことに感謝すること、花や街路樹など木々を大切にすること、少しでも人の役に立つことを行うこと、生きていることに感謝すること、等々をすることしかないようである。小さな行いは、それを多くの人が同時に行えば大きな事となる。「ちりも積もれば山となる」の例えの如く、自然を大切にし、自然を感じる心を養いたいものである。事務所に咲く花は、時として、私にいろんなことを教えてくれている。


色違いの花が・・・

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今日は昨日と違って寒さも和らいだように思う。曇りのち雨の予報も晴れ間が多くなった。しかし、雲は太陽を隠したりの一日であった。

通勤の途中、写真のような花が咲いていた。同じ種類の花のようだが、色が赤と黄色の2種類である。石垣から出っ張って勢いよくはみ出して咲いている。寒い中に、元気な花である。

師走に入って忙しさもあり、天候と比例して気分的にも落ち着かない毎日である。日常生活の中で、人と人との拘りの中で知らず知らずの内に人を傷つけてしまうことがある。それを自分がしていたことに気づかされ、痛切に感じてしまった。そして、いろんなことが自分の周囲で起こり、自らの責任ながらストレスも溜まって最高潮にある。

花は、並んで競争しながら伸び、花を咲かせている。赤い花も黄色の花も甲乙つけ難く自分を表現しているようだ。何のわだかまりもなく、自然の中で、本当に美しく自分を表現しているように思う。花のように、素直に、美しく、自分を表現できれば素晴らしいなと思う。花に何かを教えられたようでもある。


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