長岡藩、河井継之助と山本五十六
先般、新潟県長岡市に行った。長岡市を案内してくださった方に、「長岡藩には河井継之助という人がいましたね?」と話すと、記念館があるということで案内して頂いた。午後5時を過ぎていたので、記念館に入ることは出来なかったが、生家のある記念館の場所まで連れて行ってもらった。
私が、河井継之助を知ったのは、安岡正篤氏の著書「陽明学十講」を読んだときである。「武装中立」を唱え、写真の額にあるように、「民は国の元(もと)吏は民の雇(やとい)」という考え方で、長岡藩の改革をした人でもある。佐久間象山に師事し、最も師事し尊敬した備中松山藩の山田方谷に師事した儒学者である。
尊皇攘夷を掲げる新政府軍と小千谷で会談したが、政府軍には西郷隆盛のような人物がおらず、武装中立を目指す河井継之助との会談は不成立に終わり、開戦となった。戊辰戦争の陣頭指揮を執り、戦死している。
今の政治家にはお手本にして欲しい人物の一人である。総理の愛読書は漫画本といっているが、もっと心を鍛え、心に響くものを読んで欲しいと思う。
河井継之助の生家の近くに山本五十六の家が残っている。
山本五十六といえば大方の人は知っているだろう。記念館には古い生家があり、小さな庭があり、胸像が飾られている。額には、「常在戦場」と書いてあった。戦争明け暮れた毎日だったのだろう。山本五十六は、長岡藩士 高野貞吉の六男として生まれている。長岡藩の家老の家柄である山本家を相続して、山本という氏となっている。山本五十六も、ソロモン島ブーゲンビル島で戦死している。
私は幕末を生き、明治を創った人たちのパワーとバイタリティが素晴らしいと思う。
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