陰山商会(不動産業)
私の日記 日々の追憶Archive for 9 月, 2008
沖縄、識名園
識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されたそうである。18世紀の終わりごろに造られている。識名園は首里城の南に位置していることから「南園」とも呼ばれたそうである。
造園形式は、池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「回遊式庭園」になっている。識名園の池に浮かぶ島には、中国風あずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなどの工夫が凝らされている。
そして、市内を見渡せる展望所からは、海を見ることが出来ないような配置になっている。話を聞くと、那覇市内は高台から何処でも海が見えることから、狭い国土が分るため、外国使臣を迎えた時に、広い国土を印象付けることの配慮があったようである。
沖縄の墓、亀甲墓
沖縄には亀甲墓がある。写真のような墓だが、上が亀の甲羅のようになっている。下から見ると正面に四角い穴が開いている。そこが納骨堂の入り口になる。そして、その前は広くなっている。先祖様との何かの記念の日には、そこで飲み食いをするのだという。よく見ると、この墓は、女性が寝て、お産の時のように股を開いている姿に似ている。沖縄の亀甲墓は、まさにその通りで、死んだら母親のお腹に帰っていくということの意味のようである。所謂、亀甲墓は女性の性器を模ったものだそうである。
最近は、広い敷地が必要な亀甲墓はほとんどなく、家の形をした祠のようなお墓が多い。もちろん納骨堂を兼ねている。本土のような石塔形のものはほとんど見かけられない。これも、儒教を中心とした沖縄の信仰に由来するようだ。最近は戒名を戴くようだが、以前はそのような習慣はないそうである。
墓も、琉球王朝の下で、大陸や東南アジアなどの影響が大いにあるのだろう。そして、墓も一族が一緒に入り、祀るものではなく、二男、三男は、別に墓を作るのだそうである。
琉球踊り
今、沖縄のホテルで交流会が始まっている。そして、琉球踊りが披露されている。スローテンポの踊りは日本の能を想像する。私は、中国や朝鮮王朝の交流が深い琉球王朝から考えると、琉球踊りは太極拳と似ているようにも思うのだが・・・。
沖縄のホテルにて
仕事で沖縄にやってきた。今、那覇のホテルから、窓越しに写真を撮った。沖縄の空、雲がふんわりと建物の上に浮かんでいる。やはり、沖縄は暑い、蒸し暑さが身体から汗を吹き出させる。しかし、木陰に入ると別世界のように涼しくなる。ホテルの生け垣には、あちこちとブーゲンビリアの花が咲き、南国を感じさせる。間もなく会議が始まる。今日も遅くなりそうだ。泡盛も待っていることだろう。
Comments(0)




