Archive for 6 月, 2008

アセロラの花、そしてブーゲンビリア

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スココーヒー園の温室に、アセロラの花とブーゲンビリアが咲いていた.。アセロラは、実をつけていた。アセロラドリンクを飲むことがあっても、アセロラの木などあまり見る機会はない。葉ももっと大きいのかと思いきや、ブーゲンビリアの葉とあまり変わらない、小さな葉である。ブーゲンビリアの花ももう終わりに近いらしく、多くはなかったが南国の花は鮮やかである。3月に沖縄で、ブーゲンビリアの花畑を見てきたが、鮮やかな花は、格別である。ピンク色がとても良い。


スココーヒーパークにコーヒーの花が

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大村市の寿古町にあるコーヒー園、スココーヒーパークにコーヒーの花が咲いている。白い花は雪が積もったようで、クリスマスツリーを見るようでもある。温室の暖かい部屋の中でコーヒーの木は花を咲かせ、純白の美しさを醸し出している。

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真ん中の写真は、つぼみであり、間もなくきれいに花を咲かせるだろう。花をバックに私もカメラに収まった。私の身体と対比して、コーヒーの花の大きさが想像出来るのではと思う。

コーヒーの花は、やがて実となり、コーヒ豆に育って行く。このコーヒー園では実を積んで焙煎までされている。経営者のこだわりがあるコーヒー園であり、併設のレストランである。


小動物と鳥類

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多々良沼で生まれたコブハクチョウのひな鳥がYahooのニュースに載っていた。あどけない顔は、「みにくいアヒルの子」なのかな? 白鳥のひなは親鳥とは随分違っている。

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自然界には、可愛い鳥たちや小動物がいる。忙しくしている私たちには、こんな動物たちに触れることがあまりないように思う。地球上にはいろんな動物が生息しているのだが、ほんの一部しか認識していない。動物は必要があって地球上に生息しているのだと思うが、人間との関わりは果たしてどういうことなのだろうか? いずれにしても、共存することが正しい道だと思うし、そのためには自然を大切にすることなのだろう。


月とアポロ11号

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子供が小さかった頃、天体望遠鏡で月や土星などを見たものである。私や子供たちにとっては、宇宙はとてつもなく遠いところといった感想であり、空想の世界と現実の世界の間の中で、神秘の世界を楽しんだものである。

月にはアポロ11号のクルー3名が、月面着陸をなしている。ニール・アームストロング船長、エドウィン・オルドリン、マイケル・コリンズの3人である。当時、私は大学生だったろうと思う。テレビにかじりついて、月面の世界を見たことを覚えている。

地球は惑星の一つで、月はその衛星として地球を回っている。規則正しく周期運動を続け、地球はまた、太陽の周りを規則的に回っている。前にも書いたが、私はその宇宙エネルギーを吸収しようと、地球に垂直に立つことに努力している。地球の重力のままに地球に素直に立つことであるが、これも非常に難しいと思う。中心確立という自分の哲学が、成就するのはまだ時間がかかりそうであるが、これからも努力していきたい。心の大きな自分を作り出すために・・・。


多発する地震は何を意味しているのか?

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中国の四川省で起きた地震は、大きな被害をもたらした。私の先輩が経営する中国の工場には、四川省から16歳~20歳の労働者が来ていたという。工場には、ほとんど連絡がなく、消息が分らないという。天災と人災が重なったのか、大きな災害となってしまった。

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日本でも、岩手県・宮城県の地震が起こり、四川省まではないが、大きな被害を与えている。道路は押し流されて、300メートルも移動しているそうである。家は押しつぶされ、人を飲み込み、死亡した人たちがいる。自然の力は、もの凄い力を持ち、家や人を押し流してしまう。

最近は地震発生が多く、また大きな災害が多い。インドネシアの地震と津波も記憶に新しい被害である。地震は、一瞬にして人を不幸のどん底に落としてしまう。何でこんなことが起こるのかと、つい思ってしまう。

自然破壊やオゾン層の破壊、二酸化炭素の排出などにより、地球環境の変化をもたらし、地球は温暖化してきている。そのことが地球の規則的な動きに変化が出て来ているのか、宇宙の法則に逆らっているのか、何となく物の豊かな中に生活している私たちの地球に対する大きな罪を感じざるを得ない。何故そのように感じるかというと、ヨハネの黙示録にいうラッパがなり始めたのかとも思う。また、私の哲学である「中心確立」、身体と心の中心確立を目指しているが、地球にきちんと立ち、宇宙のエネルギーを体内に取り込む。そんなことをしていると、宇宙エネルギーの凄さと、地球の重さとを感じるからである。分けの分らないようなことを書いているが、分る人もいてくれると思う。いずれにしても、心の豊かさが問われているように思う。


三男坊が香港から

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三男が会社の旅行で香港に行ったそうで、携帯からの写真を送ってきた。夜の香港のネオンが輝いている。

香港は周知の通り、中華人民共和国の特別行政区の一つで、香港特別行政区となっている。1842年の南京条約で、清朝からイギリスに割譲され、その後イギリスの植民地として、金融・経済の面で栄えてきた。

人口は約693万人、総面積は1103平方㎞で、人口密度は高く、逆に出生率は世界でも低水準にあると聞く。

世界は、刻一刻と変化し、経済大国と言われていた日本は、衰退の一歩を辿っている。国民生活よりも、アメリカ追従の日本の政治は、国民の首を絞めているのだけれども、国民は、怒りさえ面に出せなくなって来ているようだ。隣国の韓国は、アメリカ牛の輸入再開に、食の安全を守ろうと国民が立ち上がっている。日本人は、なるようにしかならないと思っているのだろうか。60年安保、70年安保と若者が今後の日本を考え、自分たちの考えを主張してきた。全学連のデモの良し悪しはともかく、若者が元気がない。日本の活力は何処にあるのだろうと思う。香港はじめ、中国の発展は目覚ましい。


亀の甲羅干し

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冬眠から覚めた亀は、一列に並んで甲羅干し、ちょっと飽きたらひと歩きといったところである。実にスローライフの典型のような光景がある。毎日忙しくしている我々にとっては羨ましい風景、しかし「兎と亀」の童話にもあるように、亀はゆっくりとではあるが着実にことを運んでしまう。「亀は万年、鶴は千年」といわれるようにおめでたい象徴でもある。

亀は何を考え行動しているのだろうか? 気のむくままにあちらこちら歩き回るのだろうか? 勿論、亀の習性はあるのだろうが、スローライフは羨ましい。人間も、もっと亀のようにゆっくりとした生活をすべきだと思う。世の中が何となく忙しい、それにあおられてか、生活する人々も忙しくなっている。

物の豊かな時代に、心が乏しくなり、経済が低迷すると、ものの豊かさの時代であるだけに、犯罪が多発するのかも知れない。亀のようなゆったりスタイルが、本当に羨ましい。


ざくろの木

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ある家の庭にざくろの花が咲いていた。最近はざくろの木をあまり見ることがないように思う。この木は実が大きくならない種類のようである。私の家も、大きなざくろが生る木があったが、家の増築の際に切ってしまったようだった。今、考えるともったいないことをしたものだと思う。

家庭の庭に、花が咲き、実が生り、そしてそれを食すことが出来るような木があるといいなと思う。最近は、家庭菜園で、野菜を作っている人もあるようだ。プランターで作っている人も見られる。私も子供が小さかった頃、トマト、ナス、きゅうり、ピーマン、とうもろこし、落花生などを作っていた。トマトは子供に千切らせ、食したものである。旬のものを無農薬で食べられる唯一の方法であったが、子供が大きくなり、忙しさも増すと、つい便利な方に走ってしまう。中国食品などの輸入から、食の安全保障が叫ばれている中、家庭菜園は大切なものなのかも知れないと思う。

ざくろの木もそうであるが、咲く花はきれいであり、自然の営みを規則的に繰り返している。種は芽を出し、茎は伸び、そして育ち、花を咲かせ、実をつける。実は土に落ち、また芽を出していく。

生きとし生けるものは、自然の営みに身を任せて天寿をまっとうしなければ生らない。しかし最近の犯罪は、それを止めてしまっている。大きな罪であることの認識をしなければならない。政治は、もっと制度などの形ではなくて、心の痛みが分る血の通ったものでなくてはならない。利権に縛られた政治は変えて欲しいと思う。

ざくろの木が、政治にまで飛躍してしまったが、感情のままに指がキーボードを叩いてしまった。


渡月橋・・・平安の憂愁

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京都の嵐山に行った。ここは渡月橋、桂川である。秋の嵐山と違って、周りは緑一色、桂川の水も多い。相変わらず観光客は多い。

この橋は嵐橋とも言われるそうであるが、造られたのは、平安時代の始めの836年に空海の弟子道昌により架橋されたものといわれているようである。

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渡月橋の呼称は、亀山上皇が曇りのない夜空に月がさながら橋を渡るような様を見て、「くまなき月の渡るに似る。」と感想を漏らされたことから、「渡月橋」と呼ばれるようになったとのことである。

平安時代の文化が、今も息づく古都の郷愁を感じさせる風景が、ここにあるような気がするのだが・・・。


ここは大阪梅田界隈

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淀川から梅田へ、写真は梅田曽根崎町のアーケード街、この角が「うめだ花月」である。うめだ花月に入った。地下に演劇場がある。難波花月とはちょっと違う感じである。新喜劇があるのかと思いきや、落語である。連ドラで上方落語の人気が上昇したらしく、落語と漫才があっていた。

笑いは健康に良い、日常の生活の中で、果たして笑うことが多いのか? 多分少ないと思う。忙しさの中で、「笑ってなんかいられるか!」というところかもしれない。腹のそこから笑うと本当に健康に良いのだろう。腹筋が痛くなるほど笑ったこともあるが、今はそんなこともないようだ。

うめだ花月の落語、中々面白かった。つい笑いがこぼれてくる。人を笑わせる仕事をしている落語家や漫才師も本人たちはストレスがたまるのかも知れないと思った。しかし、人を笑わせ、一瞬なりとも気分を陽にさせる仕事は、世の中にとって大切な仕事なのかも知れない。笑えるときは我を忘れて大いに笑うべし。


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