ざくろの木
ある家の庭にざくろの花が咲いていた。最近はざくろの木をあまり見ることがないように思う。この木は実が大きくならない種類のようである。私の家も、大きなざくろが生る木があったが、家の増築の際に切ってしまったようだった。今、考えるともったいないことをしたものだと思う。
家庭の庭に、花が咲き、実が生り、そしてそれを食すことが出来るような木があるといいなと思う。最近は、家庭菜園で、野菜を作っている人もあるようだ。プランターで作っている人も見られる。私も子供が小さかった頃、トマト、ナス、きゅうり、ピーマン、とうもろこし、落花生などを作っていた。トマトは子供に千切らせ、食したものである。旬のものを無農薬で食べられる唯一の方法であったが、子供が大きくなり、忙しさも増すと、つい便利な方に走ってしまう。中国食品などの輸入から、食の安全保障が叫ばれている中、家庭菜園は大切なものなのかも知れないと思う。
ざくろの木もそうであるが、咲く花はきれいであり、自然の営みを規則的に繰り返している。種は芽を出し、茎は伸び、そして育ち、花を咲かせ、実をつける。実は土に落ち、また芽を出していく。
生きとし生けるものは、自然の営みに身を任せて天寿をまっとうしなければ生らない。しかし最近の犯罪は、それを止めてしまっている。大きな罪であることの認識をしなければならない。政治は、もっと制度などの形ではなくて、心の痛みが分る血の通ったものでなくてはならない。利権に縛られた政治は変えて欲しいと思う。
ざくろの木が、政治にまで飛躍してしまったが、感情のままに指がキーボードを叩いてしまった。
Comments(0)




